二俣城址・鳥羽山城址
10月14日(木)二俣城址と鳥羽山城址散策。
まずは二俣城址:天竜川と二俣川が合流する天然の要害に築かれた城跡
1572~1575年武田信玄・勝頼と徳川家康による争奪戦が繰り広げられた。
家康が領有していた1579年、信長の嫌疑にかけられた長男信康が幽閉・自刃した。
駐車場側入口
旭ヶ丘神社入口
大手門石垣?
本丸跡広場へ
天守台石垣
天守台より本丸跡を望む
蔵屋敷・南曲輪入口
蔵屋敷跡
堀切
水の手曲輪よりの天竜川
天竜川堤防よりの二俣城址前景
そして、鳥羽山城址へ向かう
東西500m標高108mの独立丘陵に築城
天守のある軍事的な二俣城と違い、迎賓機能を備えた領主の居館と推定される。
大手門址
本丸跡は広場
東門
東の丸へ
小広場
展望台よりの本丸広場
二俣の街並
昭和49~50年発掘調査で発見
山城の本丸に庭園を設けた例は少なく迎賓機能の証
西の丸土塁
遊具:クッションローラー滑り台もあった
搦手門
笹曲輪
笹曲輪先展望台より
再び二俣城址に戻り
神社裏手
喰違虎口の堀切
二俣城址出口
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