東海道復路ウォーキング18日目
5月29日(土)18日目の復路東海道。7:15自宅出発🚗、9:00前回と同じ新蒲原駅前パーキングに駐車。
歌川広重「蒲原夜の雪」記念碑よりウォーキングスタート9:09。
すぐ街道へ。
なまこ壁の「塗り家造り」商家吉田家:国登録有形文化財
同じく元商家佐野屋(佐藤家)
木屋のお稲荷さん、弘化2年に京都伏見稲荷神社の羽倉伯耆の守より正一位稲荷大明神の位を授けられた。
渡邊家3階文書蔵、足掛け3年の工期をかけ1839年完成。全国でも5番目に古いお蔵。
四方転び:四隅通し柱が上にいくにつれて少しずつ狭まり、内側に傾斜した耐震構造。
日本軽金属電力発電用管路
蒲原宿東木戸と常夜灯
一里塚跡碑
10年前はなかった案内表示を左折
東名高速を横断、富士山がうっすらと見える。
今日は風があり、富士山が拝めそう!
秋葉山常夜灯
中之郷小池老人会による花壇
新幹線を潜る
再び秋葉山常夜灯
消火栓マンホールは、かぐや姫?
富士川SAに突き当たり迂回
SAへの車路を潜る
富士川中之郷よりの富士山。やや大きく見えるように。
三度秋葉山常夜灯
10:06本通公園にて1回目の休憩。でもベンチがなく、階段に腰掛ける。
四度秋葉山常夜灯
見事に一対残っている岩淵の一里塚
五度秋葉山常夜灯
東海道と身延道の交わる間宿岩淵の小休本陣 薬医門
常盤家住宅主屋(国登録有形文化財)1854年安政大地震以後の建築
休憩原則で宿泊禁止のため小休み本陣
農家と町屋の形態を併せた並列六間取り型に二間増やした特色のある間取り。
シルバーの方が説明してくれました
本陣の槇と親しまれたイヌマキ
北外壁は冬の冷たい強風を和らげるため湾曲しているとの説明
上段の間
手前より奥の部屋、なかい、みせ
前土間より奥の部屋、上段の間
前土間よりみせ、囲炉裏の部屋
「なかい」吊束には蚊帳掛け
釘は使われず、くさび止め
通り土間より囲炉裏の部屋、なかい、上段の間
通り土間天井
台所
改造に戻ると正面に富士山
鍵の手
六度秋葉山常夜灯
富士川に下りる
富士川よりの富士山
富士川を渡りきると水神社
渡船場跡
県道396号線(富士由比線)より旧道へ
今日はGPSの調子が悪く道を間違え遠回りし、県道に出て道標と秋葉山常夜灯
身延線柚木駅高架を潜る
10年前休憩した天白神社を右に旧道へ入る
再度旧道に入り札の辻跡
大正5年3月竣工??
道祖神
この後、11:55富士市交流プラザ平垣公園にて2回目の昼食休憩、wifeお弁当。
旧道に戻り珍しい旧家
単調な旧道
鶴芝の碑:ここから富士山を眺めると、山腹に一羽の鶴が舞うように見える
蓼原の単体道祖神:塞神(さいのかみ)
潤井川富安橋
橋を渡り右折し、県道396号へ
直に左折し北東に向かうと、民家屋根越に富士山
三回目の道祖神
富士市役所東交差点に、10年前昼食を取ったラーメン屋:天地人
県道を斜め横断し、右に
13:07新通町公園にて3回目の休憩
旧道に戻り答申すると吉原宿西木戸を左折
吉原商店街にぶつかり右折
どこも同じでシャッター街となっている
吉原本町駅
吉原宿東木戸跡
和田川の平家越え橋
左富士、3度目にして屋根越しにわずかに富士山が見えた。
左富士神社
依田橋村一里塚跡
新幹線を潜る
沼川河合橋
10年前に休んだ鈴川本町公園にて4回目に休憩14:10。
吉原駅前通過
東海道本線横断
これより本日終点は原駅まで道なりに一本道
初紫陽花
久しぶりの秋葉山常夜灯
高橋勇吉と天文堀の碑:自分の田畑や財産を売り払い掘割を整備した。
勇吉が天文の知識や土木技術に優れていたため「天文堀」と呼ばれた。
ドラえもんピカチュウのある石屋さん
県道380号線に合流、間宿柏原へ
春耕道しるべ第1号
増田平四郎とスイホシ:浮島沼の大干拓をし大排水路を完成させた。
その大排水路を人々がスイホシと呼んだ。
一里塚跡案内はありましたが像以外はなし?
立圓寺(りゅうえんじ)
残念ながら望嶽の碑からは富士山は拝めませんでした。
東田子の浦駅前酒店ベンチにて5回目の休憩15:22。
東柏原交差点を左折旧道へ
15:41沼津市に
再び東海道本線を横断
胸像 だれ?説明なし
久しぶりの飛び出し注意坊や
原宿一里塚跡
本日の終点原駅前16:32
16:44発で新蒲原駅に戻り、17:05駐車場より🚙、19:03帰宅。
本日は35000歩、≒24.5㎞。
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