2020年6月25日 (木)
2020年6月24日 (水)
第8回しょうご会旅行
Covid19移動制限がさらに緩和される、6月21日(日)~22日(月)第8回目しょうご会旅行に。
予定は同級生のいる北海道でしたが・・・。
県外は避け県内大井川流域に。
8:00粟ケ岳駐車場より山頂を目指す。
約1時間茶畑の中を、フーフー喘ぎながら地獄穴:地獄に通ずるとの伝説
そして磐座:古代に神様が天上界より降臨されたと伝わる巨石群
山頂の阿波々神社
無間の井戸
いっぷく処展望台からの良い眺め😃、標高532m
頂上のSBS電波塔
東山いっぷく処にて緑茶かき氷¥450を食す
下からの見上げ
良い景色
東海道線から見ていた「茶」文字。お茶の木だと思い込んでいましたが、当初は松の木で松くい虫で枯れてしまい、昭和60年桧に植え替え。
11:00無事下山し、見上げる
国1まで移動し、事任八幡宮:創立年代未詳、古代より街道筋に鎮座
遠江に座す願いことのままに叶うありがたき言霊の社
手水舎にcovid19の影響で柄杓はなく、代わりに竹筒手洗
クスノキ:高さ31m、目通り6m、根回り19.3mの大木
拝殿・本殿に上がる
大スギ:高さ36.5m、目通り6.3m、根回り11.2mの巨樹
本殿東にあり御神木「東の宮様」と敬われている
御神輿
五社神社
本殿
稲荷神社
金毘羅神社
くじら山みたま石
カヤとアラカシに抱かれた石:むすびの神
旧国1に面して、福の神の祀られている本宮遥拝所
旧国1側の鳥居
夫婦杉:数百年前より境内の真ん中に寄り添うように立っていた一対の杉、平成30年台風24号により倒木
昼食のために御前崎に向かい、12:43紀行茶屋到着
隣接して、灯台
刺身定食+サザエ+烏賊焼き マグロは分厚く、エビも大きく大変おいしかった😃
再び北上し、蓬莱橋15:00 全長897.4m(やくなし=厄無し)世界一の長さの木造歩道橋
金谷に渡ると、愛和道祖神
撮影スポットも
貝群化石
長寿の鐘
恵比寿尊店
大井川は濁っていました
15:45急いで大井川を北上し、本日の宿:寸又峡温泉「翠紅苑」17:15到着。
温泉に入り、湯上りビールを飲み宴会場へ。日本酒は「おんな泣かせ」
食事:アマゴがおいしかった
宿内
翌日目覚めるとなんと雨☔、😞
朝風呂に入り、7:30朝食。そこそこ宿泊客がいました。お一人様が多い。
翠紅苑の前での記念撮影はならず
昔の玄関を通過し、雨の中の散策へ☔ 9:13
無事カエル
猿並橋:長さ96m、高さ11mのサルも渡る橋
天子トンネルを潜り夢の吊橋へ
見えてきました。先客のカップルが渡っている。ミルキーブルーと泥水が半々。
9:48道路から急な階段を下り到着
結構揺れましたが、高さが低いので怖くはない。長さ90m、高さ8m
吊橋より下流の大間ダム
上流
渡り切り、300段の階段を上る
上がり切り吊橋を見下ろす
千頭国有林は相変わらずの雨☔
飛龍橋よりの夢の吊橋
10:53温泉街に戻る
温泉の案内:明治22年共同浴場湯山温泉として開発され、昭和37年温泉街まで引湯。
翠紅苑に戻り、サービスの温泉に3度入り、昼食は蕎麦
食事後、奥泉駅まで下り、日本唯一のアプト式列車に
奥泉駅、無人と思いきやしっかりした駅でした。
駅舎
12:58発に乗車
388号を見上げる
隣のアプトいちしろ駅でアプト連結の様子を見学
合体!
ラックホイールビニオンという坂道専用歯車とラックレールの組み合わせで90/1000の急坂を登る
13:34奥大井湖上駅到着
TV放映された珍しいお茶葉自販機。「たばこではない」注意書
エンゼルパワースポット認定地
線路横を渡る
接岨湖
またまた階段😵~湖上遊歩道へ
絶景のレインボーブリッジ
帰りは湖上バス停より乗車し、奥泉駅に戻る14:34着、帰路に。
15:00フォーレなかかわね茶茗館にておやつ休憩
庭を見ながら、和室で
説明を聞き、やぶきた茶を入れながら頂く¥300格安
内部
さらに川を下り、16:00塩郷の吊橋(恋金橋)の募金箱
大井川最長
大井川鉄道の上を横断
全景を眺めて帰宅
恩師を駅に送り、18時帰宅。
来年は北海道に行けますように!
2020年6月10日 (水)
東海道復路6日目ウォーキング
梅雨入り前の6月9日(火)2週間ぶりの復路東海道ウォーキング6日目。
県外への自粛要請があるため前回の続きの磐田駅前かつてあった善導寺推定樹齢700年の大クス9:55スタート。
ジュビロード
磐田市役所北側の遠江国分寺址:1250年前の奈良時代聖武天皇の命により建てられた。南大門・中門・金堂・講堂が一列に並び、金堂と中門を方形にめぐる回廊の西外側に塔もあった(法隆寺並み)
復元されたのは基壇のみ
東側の府八幡宮:奈良時代730年頃に遠江国司として赴任した天武天皇の曽孫桜井王が建立と伝えられる
手水舎の龍
楼門:杮葺き入母屋造の純和様建築の随身門
本殿・拝殿付幣殿:棟札によると本殿は1617年、拝殿・幣殿は寛永12年建立
末社
ボケ封じの宮(武内社)
東照宮
ウワミズサクラ:昔大嘗祭儀式に欠くことのできない木。山間部では多くみられるが、平地では珍しい。
国1を横断すると、見付宿西木戸(西光寺前)
姫街道分岐点を右折東進し、見付のメイン通りへ
西坂の梅塚:昔、陰暦8月初めに一筋の白羽の矢が町家の棟高く突き刺され、この家を年番と申し、娘を怪物の犠牲に備えた家の前にそのしるしとして植えたものとされる。西坂梅塚は13ヶ所の最後のもの。東坂にも残っているようだがその後確認できなかった
立派な石積の蔵。よくある伊豆石ではなさそう。
脇本陣大三河屋門:はじめは旅籠だったが、1805年に脇本陣に。2本の本柱上に冠木を渡し、梁と切妻屋根を載せた薬医門形式。
サイクリング時以来の旧見付学校
1875年開校、現存する日本最古の木造擬洋風小学校校舎、1883年3階部分増築5階に。
4階の応接室?校長室?詳しい記録なし。
5階太鼓楼よりの磐田市内
北側には大久保忠尚創建の磐田文庫
隣接して遠江總社淡海國玉神社
見付通りの陶板
案内板
塾も景観配慮
見付宿東木戸
愛宕山への階段
愛宕神社
奥に、往路ウォーキング・復路サイクリング時に気づかなかった愛宕一里塚跡。少し離れた北側にもあるようだ。
国1に合流し、遠州鈴ヶ森刑場跡は草が生茂り登れませんでした
直ぐに旧道に入ると、行人坂(山伏[行人]が多く住み村の祭りごとや社会奉仕に携わっていたためこう呼ばれる)を下る
今回初の松並木
坂を下りると、珍しい北向き地蔵:明治中頃疫病が流行りこれを封じるためにお地蔵様を方向が悪いとされた北向きに建立して身代りになって頂いたと伝えられる。
緑ヶ丘霊園脇の公園にて1回目の休憩11:30
旧道に戻り、磐田グランドホテルを見ながら東進
立場跡看板
三ケ野公会堂を左折北進
明治の道(緑のトンネル)、往路は台風後で倒木が見られた。
江戸の古道も残っている
再び松並木
国1に合流し太田川を横断
少し寄道し、須賀神社
神社クス:磐田市指定天然記念物、推定樹齢500年
袋井市に入る
左側旧道に入り木原へ
袋井市指定無形民俗文化財:木原大念仏のごみ集積所
木原畷案内板、前回はなく平成27年設置
古戦場木原畷石碑横には、家康公腰掛石
木原一里塚
木原東口に蔦屋版東海道
指定文化財:旧澤野医院、江戸末期から昭和初期までに病棟・居宅・渡り廊下・洋館の4棟建築
玄関前がゴミ集積所は残念😞
葛飾北斎の春興五十三駄之内袋井と保永堂版東海道
袋井中学校北側の御料牓示杭跡(東天領袋井宿、西掛川藩川井村)
是より東袋井宿
秋葉山常夜灯、高札場、土塁の案内
問屋場(人馬会所)跡看板
13:00袋井宿場公園にて2回目の昼食休憩、wifeお弁当をありがたく頂く😃
袋井宿東本陣跡一角の公園
東海道どまん中茶屋
是より西袋井宿石碑
市役所を過ぎ、住宅地内に残る旧道
新屋の秋葉山常夜灯
三度松並木
双筆五十三次:三代歌川豊国
隷書東海道
油山寺道標
秋葉山常夜灯
久津部一里塚跡:北側は案内板のみ
南側袋井市立東小学校にある久津部一里塚
土手と松並木
富士浅間宮赤鳥居:1590年地頭の本間源三郎重泰が建立し、寛永15年北条氏重が現在地に移築
歌川芳員の東海道五十三次之内袋井
名栗~久津部松並木の東端
名栗の花茣蓙(ござ)、塗装が薄くなってきました
名栗花茣蓙公園にて3回目の休憩14:35
東海道五十三次袋井宿 出茶屋ノ図
原野谷川を渡り
掛川市に入る
金西寺
間の宿原川の松並木
仲道寺と善光寺
国1バイパスを潜る
古い長屋?
老舗あられ屋さん
わずかに残る大池松並木
大池一里塚跡
立花公園にて4回目の休憩15:35
天竜浜名湖線西掛川駅通過
倉見川大池橋を渡る
二瀬川交差点を右折南進し逆川を渡る
旧道
十九首塚:940年藤原秀郷が平将門一門19名を討伐してその首を弔った地
秀郷たちが首を川で洗って掛けた将門橋
市内に入り景観配慮した清水銀行
連尺西交差点にて本日の終点
掛川駅16:45到着
34000歩、約23㎞。前回同等暑かったが、風がありさほど汗はかきませんでした。
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