日光例幣使街道ウォーキング7日目
5月下旬日光例幣使街道2回目のウォーキングで、親友STさんが逝ってしまったこともあり行きそびれていた続きのスタートを10月19~20日。
いつもの電車を待っていると仲間のYOさんの出社中に遭遇し掛川まで同車~~電車を乗り継ぎ、前回の終点駅新鹿沼に11:35到着。
天気予報はずっと雨が降ったり止んだりでしたが、直前に変わり晴れ間
も。
街道に出て左折北進
すぐに鳥居跡(とりいど)奈良時代は4本のえのき、江戸時代はけやき、昭和32年に現在の日光二荒山神社建立。
新鹿沼まちの駅
屋台展示収蔵庫
屋台のまち中央公園
隣接する掬翠園(きくすいえん)見学
約1600㎡の日本庭園で、鹿沼市街地の中心にあたる久保町に位置し、明治末期から大正初期にかけて、鹿沼屈指の麻商であった故長谷川唯一郎氏が造営したものであり、当時、今宮町の松華園、上材木町の村山晃南荘と並んで、鹿沼の三名園と言われた中で現存する唯一の庭園である。庭園内には全国から集められた奇石や灯篭が配され、泉池や古木群と共に、深山幽谷の赴や、野鳥の集う四季折々の風情を見せている。造園にあたっては、家主自ら全国に赴き、樹木や庭石、碑塔類を選定したことからも、苦労と庭園にかけた情熱が伺い知れる。
きれいな回遊式庭園
芭蕉句碑
観涛居
数奇屋づくりの建物で、四畳半勝手の本格的茶室を持つ。玄関のたたきには、刀の鍔が塗り込まれている。建物の南側戸袋に使われている板は、当時漁船に使われていた舟板であり、当時は建物全体の外板に使われていたものを、改修時にその一部を残したものである。長谷川宗召が頻繁に茶道教室を開いていた経緯を生かし、本格的な茶会を始めとして、茶道教室等に利用できる有料の貸出施設となっている。
慶雲郷
鹿沼の土と藁を壁に塗り、鹿沼の木を使って整備した。建物の延べ床面積約210㎡のうち107㎡については既存の建物を改修したものであり、襖や板戸には当時訪れた芸術家たちにより描かれた美術品が残されているものを、そのまま展示しており、史料館的な役割を果たしている。ここには、るり堂と呼ばれるお堂が併設しており、これは、1766年ごろ小来川に建築されたものが寂れていたので、故唯一郎氏がここに移築したものである。また、新設の約103㎡については各種展示会に使用する他、茶道、華道等の文化的活動ができる多目的な機能をもった有料の貸出施設となっている。
るり堂
屋台展示館¥200。時代・タイプの違う常設屋台が3台。ボランティアのじいじが丁寧な説明をしてくれました。ありがとう!10月第1土・日が祭典。来年は見てみたい。
まずは白木彫刻の黒漆塗り屋台、1855年。
次は彩色彫刻の黒漆塗り屋台、1812年。
3台目は白木彫刻の白木屋台、1857年。唯一の柱彫刻。
会館開所記念に造られた透かし彫り。
故宮博物館の透かし彫には叶わないが、すごい。
ベンチで昼食を済ませ街道に戻る。
そして黒川御成橋を渡る。
橋には例幣使の陶板。
屋台の陶板も。
橋を渡った後道を間違え、大回りし2回目の休憩地:菊沢コミュニティセンター横の小公園14:10。
再度出発すると直ぐに側道。
少し紅葉が始まっている。
国道121号よりやや上がった側道。
側道が切れた所に今回初めての例幣使街道看板。
筋向いに並木寄進碑。
日光街道杉並木に似てきた。
側道もそっくり。
15:08小倉一里塚。
15:18JR文挟(ふばさみ)駅にて、3回目の休憩。
街道に戻ると、側道は人口木材張。歩き易かったがいつまでもつのか?
杉並木下は陽が当たらず薄暗く、枝も数多く落ちている。
16:23板橋一里塚。
右はバイパス、左は旧道。杉並木保護のため1㎞程通行止め。
16:45杉並木保護のため1㎞程通行止め。ますます暗くなりLEDライトを取り出す。
倒木も数ヶ所あった。このあとは暗い中ひたすら歩く。雨音が聞こえ小雨も降っているようだが杉が防いでいてくれた。
17:18地震坂。真っ暗!
歩道もなくたまに通る車におびえながら2時間半歩き続けやっとの思いで下今市駅前ホテル村上到着18:00。約24㎞、34400歩の1日目。
入浴後、夕食付のため食堂へ。あまり期待していなかったのに結構おししくて量も多く満足。しかも鹿刺しまで。生ビール
の冷えがいまいちだったのが残念。
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