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2013年11月24日 (日)

中山道№19

11月23日(土)勤労感謝の日、3週間ぶりに中山道ウォーキング。
前回よりも1本早い電車に乗り、快速に乗り継ぎ垂井駅に9:42着。
垂井宿東見付9:55スタート。
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町並み
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西見附
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南側のみ残っている垂井一里塚
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伊富枝神社鳥居
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間の宿野上の七つ井戸
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久しぶりの松並木、ベンチにて1回目の休憩10:45
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山内一豊陣跡
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六部地蔵:六部とは六十六部の略で全国の社寺などを巡礼して、旅をしながら修行している人のこと。昔この地で亡くなられた行者を祀った。
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桃配山:ももくばりやまと読み、壬申の乱で天武天皇が陣を構え兵士に山桃を配り、戦いに勝利したとの故事からこのように呼ばれるようになった。
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国道21号の南には徳川家康初陣の地
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東首塚?
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関ヶ原駅を通過すると、脇本陣跡の碑
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西首塚
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不破関址
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関の藤川(藤古川) かつては軍事上の要害の地
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八幡神社 奥には大谷吉継陣跡、松尾山眺望地
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間の宿山中
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黒血川:壬申の乱の激戦で川底の石も黒く染めたのでこの名が。
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鴬の滝 この先で昼食休憩11:40
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今須宿一里塚跡
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本陣・脇本陣跡の碑
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問屋場
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常夜灯
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道沿いの紅葉
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車返し地蔵尊
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立派な名芭蕉句碑
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長かった岐阜県に別れを告げ滋賀県入り12:42
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寝物語の里:近江と美濃国境を挟んで番所や旅籠の壁越しに寝ながら他国の人と話し合えた
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楓並木
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立派な中山道石碑、この後いくつか見られる
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柏原宿東口の紅葉
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宿町並み
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13:07柏原駅でトイレを探すがないが、すぐに宿WCがあり3回目の休憩
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問屋場跡
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旅籠屋跡
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本陣跡 南部家
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本陣跡
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造り酒屋跡
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柏原宿西口
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柏原銀行跡
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川沿いの紅葉
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復元された柏原一里塚 昔は両側に3本の榎があった
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西見付跡
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石碑と紅葉
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街道並び松
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残された旧道
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道標
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国道21号沿いの紅葉
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国道21号沿いの道標
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一色の一里塚の碑
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醒井宿東口
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面白いお店
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立派な千本格子に丸窓
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居醒の清水にある日本武尊像
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14:34美術館入口橋にて4回目の休憩、いい感じ 地蔵川はハリヨ生息地
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本陣跡
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町並みを振り返る
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丁徳寺の天然記念物御葉付銀杏
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十王水
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西行水 湧水が豊富な宿
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久礼の一里塚跡
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三度楓並木
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番場宿 問屋場跡がいっぱい?
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本陣跡は1か所
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立派な家 近くの神社にて5回目の休憩
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名神高速道沿い坂道を登り、下りはすぐ脇を通り、擂鉢峠に向かい右折
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峠を越えると視界が開ける。再び旧道を見つけ、暗かったが10分弱歩くと国道8号に。N1970

直ぐ脇の旧道に入り、おいでやす彦根市へと鳥居本町道標
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鳥居本宿
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街中に茅葺の家
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合羽所「木綿屋」
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遠目に脇本陣跡、右折し
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本日の目的地鳥居本駅に到着16:49
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朝1本早めの電車に乗ったことと、休憩時間を2~3分ずつ短縮したことで、予定より1時間早い16:57発米原行近江電鉄に乗り帰途へ。
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41500歩、約27㎞の日帰り旅でした。
次回は、いよいよ中山道完歩に1泊2日旅、なんとか年内に行きたい。

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2013年11月17日 (日)

伐採見学

雨上がりの11月16日(土)某製材会社主催の伐採見学に参加。
天竜船明ダムのやや上流へ
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天気は非常に良いが地面には陽は届きません
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森林組合の人による間伐作業を見学、倒す方向を決め他の木を傷つけないように
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40~70年物
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4m物に切断され、上空に張られた1tクレーンにて移動
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集積場所に移動
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お昼には、炭火で焼かれた秋刀魚と牛肉そして豚汁をご馳走になりました
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食後、工場に移動し製材過程を見学
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使用されている丸鋸
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初めて伐採する現場を見ました。
間伐し手入れされている山は極わずかだそうです。
伐採手間と材木売り代の採算がとれないため放置された山々も見ました。
何とかならないものかな

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2013年11月12日 (火)

久しぶりの結婚式

11月10日(日)甥の結婚式に出席、3年前東京で行われた甥以来。富士市まで出かけました。式場は、東海道を歩いた道の近くにある「ペアステージノイ」
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玄関ホール、意外と狭かった。
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披露宴会場 80人と大人数で、新郎新婦ははるかかなたでした。
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式は割と古風だったが、余興は友人2グループのみのDVDには驚きました。
生でやって欲しかった。
ビジュアルなのは良いが、映像だらけで映画館にいるようだった。
次はいつだろう?

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2013年11月 3日 (日)

中山道№18

11月2日(土)3週間ぶりに中山道ウォーキングの続きに、いつもの時間に鈍行、快速を乗り継ぎ9時45分に岐阜駅到着。
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9:50中山道に、駅に並行している中津川と雰囲気は似ているが、面影は全くなし
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かろうじて西番所跡の碑を見つけました
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本荘村を経て加納宿の石標と多羅野(だらり)八幡神社。茶店がありだらり餅(何かは不明)が売られていた。
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立派な町家
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天満天神(天神宮)
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10:43長良川左岸鏡島にて1回目の休憩、少し歩くと暑くなり上着を脱ぐ。
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長良川、今日はいくつかの川を渡ります。
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河渡(ごうと)宿、明日宿場祭りのようです。
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河渡宿一里塚跡、昔は榎が植えられていた。
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川藻がきれいな糸貫川
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幕府直轄の本田代官所跡
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樽見鉄道美江寺駅をはるかに見ながら横断、線路もいくつか横断する。
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美江寺宿案内板
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美江寺一里塚跡
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町家
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12:04美江神社、高札場跡にて昼食休憩、良い天気
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美江寺千手観音
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柿ときれいな川
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揖斐川左岸に黄金色の稲穂がまだ刈られずに残っています。
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揖斐川
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13:25小廉紅園(和宮記念公園)にて3回目の休憩、やっとWCを見つけてホッとする
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並んで呂久渡船場跡
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平野井川右岸、見回り半の石碑、周辺は輪中?
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聖観世音菩薩、通り過ぎた後犬を連れたジイジとすれ違い「観音様見た?4,5年前NHKが来て放送した。有名なんだよ」と説明してくれたが、中身は不明。
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近鉄養老線東赤坂駅横を横断
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14:20白山神社横の公園にて4回目の休憩
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池尻一里塚跡
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赤坂宿東口ひだり中山道の道標、ここから赤坂宿は長かった、安中宿を思い起こさせる。
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赤坂港跡
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隣接して港会館
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対面には立派な火の見櫓:赤坂宿を代表するモニュメント
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まちの家
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昔はこの先まで電車が伸びていた赤坂本町駅跡
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赤坂宿でも明日お祭り 立派な案内
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赤坂宿本陣跡
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立派な町家
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脇本陣跡
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御使者場跡:大名が宿場に入る際、宿役人や名主が出迎えた場所。
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再び廃線路横断
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今にも埋まりそうな堀のある昼飯町の立派な家。昔はひるめしと呼ばれていましたが、下品だということで「ひるいい」言いにくいから「ひるい」になった。
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通りから離れている照手姫の手汲み井戸:土地の長者に「籠で水を汲んでこい」と難題を言われた照手姫が、小栗判官を偲びながらこの井戸で水を汲んだのだそうだ。
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大谷川左岸に青墓宿の標識
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蒼野ケ原一里塚跡碑と常夜灯
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相川支流は水無し川
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垂井宿東の見付、日本橋から440㎞地点。
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16:10予定より30分程早く、垂井駅到着
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16:27大垣駅行~快速に乗り換え豊橋まで行き、鈍行にて帰途。
本日約24㎞、32000歩の旅でした。

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