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ココログブログが容量一杯となったため、今後は下記アドレスに移行します。
師走の穏やかな12月7日(月)今年最後のウォーキングに(東岡崎~国府)
平日通勤渋滞を覚悟して7:10自宅発、浜松通過と豊橋バイパスが混み国府駅前駐車場着は9:10。
9:23発特急で東岡崎駅9:36着、前回の終点伝馬交差点よりの出発は9:50。
前回より続きの27曲りは「に」から
1790年建立の遠州秋葉山永代常夜灯(仏式)太平洋戦争空襲でも原型を留めましたが、痛みもひどく危険となり取り壊し宝珠のみ保存。
「は」曲り
「ろ」曲り
最後の「い」
最後は、南冠木門
再び常夜灯
国1に併進する更沙川緑地:サイクリングに休憩
岡崎IC前に小さな松並木、しっかりと道標
IC入口を避けるように旧道へ
IC取付道路を潜る
手書きの案内板
大平八幡宮一対の常夜灯と「東海道」表示
大平西町バス停公園で1回目の休憩10:45
大平一里塚:日本橋より80里、昭和3年道路改修で北側は破壊。樹木はエノキ。
西大平藩陣屋跡案内
国1大平町東交差点を斜め横断
大平川水神社
乙川に突き当たる
対岸には馬が
渡り切りUP
国1橋を迂回し旧道に戻る
美合のわずかな松並木
交差点にベンチと石表示
国1に合流し、約1㎞程進む
藤川宿西口
石灯篭
藤川宿松並木
名鉄横断
吉良道道標
藤川宿の一里塚:1830年頃には南側なくなり、昭和初期に北側も枯れてなくなる。
十王(閻魔)堂、愛知県に十王道信仰が多い?
藤川小学校前の歌川豊広の狂歌碑
並列して、西棒鼻:宿場のはずれにて2回目昼食休憩wife弁当11:54
関山神社一対の常夜灯と石標
脇本陣跡
高札場、本陣跡
公園よりの景色
旧野村家(米屋)
問屋場跡
高札場跡
堅牢な人形屋さん
旧家
駐車場公園
町屋造り旧家
江坂家、嬉野家
曲手(かねんて)別名枡形
東棒鼻
藤川宿東口
国1に合流すると、名鉄の舞木検査場
700mで左旧道へ
石標
舞木町案内
名電山中駅
国1に合流
800m程で沢渡公園にて3回目の休憩13:20
本宿町沢渡交差点を右旧道へ
本宿西口
医家宇津野龍碩邸と長屋門
本宿一里塚跡
本宿駅
十王堂(閻魔)跡
常夜灯と珍しい火の見櫓
元宿村道路元標
アイチ味噌溜店舗
本宿(山中)古城、城跡は名鉄、国1、東名工事により消失
法蔵寺
山門
本堂 4回目の休憩13:55
六角堂
新撰組 近藤勇首塚:土で覆われた石碑が昭和33年調査で明らかになり胸像を立てて供養
松平家御霊廟と三方ヶ原の合戦忠死者の墓
寺前の旧家
御草紙掛松:家康公が手習いのおり草紙を掛けたことから呼ばれる
本宿東口
冠木門
豊川市へ
国1 1.4㎞程で右折旧道へ
久しぶりの飛出し注意坊や
常夜灯
旧家
長沢一里塚跡
飛出し注意
三河湾オレンジロード高架を左折寄り道
えびせんべいとちくわの共和国でお土産gett!
街道に戻り常夜灯
赤坂休憩所「よらまいかん」休館日でしたが、裏ベンチにて5回目の休憩15:25
大橋屋(旧旅籠鯉屋)
きれいになりすぎて、ぼろぼろの大きな提灯があったイメージと違う
旧店舗
休憩所
高札場
本陣跡
5回目の御油の松並木西口
以前は目立たなかった枯れ松も
東口
イチビキ第一工場
御油曲手と飛出し注意坊や
サイクリング時は桜がきれいだった 川
姫街道追分
大社神社常夜灯には灯が
旧家
本日の終点、新栄2丁目交差点16:19
左折し国府駅前駐車場に向かい、16:38帰路に
32000歩余り、約22.5㎞のウォークでした。次回は、来年3月まで。
2週間ぶりに、11月28日(土)東海道復路ウォーキング13日目(知立~東岡崎)
7:15自宅発、高速は使わず国1~23号経由で道の駅藤川宿着9:08。土曜日で少しは渋滞するかと思っていたがスムーズに。
9:22発準急で知立駅、そして前回の終点より9:58再開。
すぐ池鯉鮒宿問屋場跡。夫婦ウォーカーを追い越す。
古い店舗
旧道の常夜灯
15分程で国1を地下道で斜め横断
いよいよ池鯉鮒の松並木
馬市句碑と万葉の歌碑
馬市の跡と明治用水(西井筋)
流れの下に直径150㎝の用水がある
鎌倉街道碑
知立神社碑
池鯉鮒宿碑
暑くなり、ライトダウンから薄い上着に。
知立市の花:かきつばた
道祖神
東海道碑
歩道橋より振り返る
来迎寺小前の松並木、この後点々と松並木が続く。
来迎寺一里塚
御鍬神社
来迎寺公園にて1回目の休憩11:00
常夜灯と小さな神社
松並木
日吉神社
サイクリング時に昼食をとった明治川神社
曹洞宗永安寺
永安寺の雲竜の松:高さ1.5mのところから北西、南、東の3方向に分かれ伸びていて、竜を連想させることからこう呼ばれる。樹齢推定350年。
熊野神社
12:10脇の尾崎児童遊園にて2回目のwife弁当昼食休憩。次第に寒風となり、食事後は寒くなり再びライトダウンに着替える。
神社横には、第一岡崎海軍航空隊跡の予科練の碑
さらに立派な記念碑(説明なし)
三度松並木
国1に合流12:43
国1沿いの旧家
30分程で左側旧道へ
竊樹神社
矢作東小横の弥五騰神社
15分程で矢作川に突き当たる。手前の千本格子旧家。
国1に架かる橋の袂には、前回はなかった日吉丸と蜂須賀小六の出会之像
矢作川上流
橋を渡り切り、左前方地下道で国1を潜る
八丁蔵通り
岡崎の地場産業:八丁味噌
純情きらり(宮崎あおい主演)手形の道でもある
ロケ地でもある。
八丁味噌を買いたがったが、入り難そうでPass。
愛知環状鉄道高架を潜る
早川公園で3回目の休憩13:45
板屋町角碑、岡崎27曲がりのstart。
旧家
板屋町入口碑
田町角碑
国1を大きく回り横断すると、龍城(たつき)温泉16時~。
前回はなかった27曲り案内:わ
田町北角碑
下肴町より田町角碑
材木町より下肴町碑を右折
新しい案内
ぬ 立看板を右折 り へ
歩道埋め込み案内も前回はありませんでした。
り 看板を左折 ち へ
ち 看板右折 と へ
岡崎城対面町前角碑
と 看板左折
400m弱で篭田総門角常夜灯に。篭田公園にはcovit-19感染が増えているがたくさんの人が遊んでいました。
人混みを避けて、岡崎信用金庫資料館は免震化工事中。
へ 案内を左折
西本陣前角碑
本陣・脇本陣案内
西本陣跡碑
駒牽(こまびき)朱印:徳川幕府が公用に伝馬を使用するときに用いた権威ある印鑑。
あわ雪茶屋:江戸時代はあんかけ豆腐が出されていた。現在はちなんだお菓子。
作法触れ:勅使、朝鮮通信使、大名行列等が通過する前に町奉行から出された注意書き
往来手形:旅行のための通行許可証
一里塚
旅篭屋:岡崎宿には112件あった
お茶壷道中:1632年宇治茶を将軍家に献上するため始まった
14:45本日の終点、伝馬町交差点。これより東岡崎駅へ。
立派な専福寺
駅前の徳川家康像
駅到着15:00。16.3㎞約24000歩。
15:08発準急にて、藤川駅へ。
藤川宿道の駅で八丁味噌を買い帰路に。
2週間前は17時発のため国1は渋滞していましたが、今日は15:38発のため朝同様渋滞はなく17:30頃帰宅。
11月25日(水)2011年以来の2度目の鳳来寺山。
前回は、1425段の石段を登りましたが、今回は東照宮南の鳳来寺山パークウェイ駐車場に停めての山歩き。
10時過ぎスタート
石段の麓を望む
鏡岩(屏風岩)
日本三大東照宮のひとつ鳳来山東照宮
鳥居と拝殿
鳳来寺への途中
元三大師堂跡
弘法大師堂跡
井伊直政は8歳~14歳のとき、鳳来寺に預けられ学んだ
鳳来寺本堂:家康の母が子宝祈願
本堂前の田楽堂からの紅葉
本堂裏手の大師堂
そして開山堂
開山堂横を入ると利修仙人像
山登りへ
石塔
利修仙人が亡くなった勝岳不動
阿弥陀如来像の元となる六本杉
損傷の激しい奥の院
奥の院裏手の岩山よりの眺望
山頂684m
山頂からの眺望は望めない
天狗岩
東屋もある
天狗岩からの眺望
巫女岩と高座石
鷹打場展望台
際立つ1本紅葉
やっと東照宮裏手に降りてきました。13時前。
1時間程で回れると思っていたが、2時間かかりました。
11000歩余り約7.5㎞の軽登山でした。
9年前は1425段を上り下りし、周回軽登山もできたが、今回は軽登山だけで十二分でした。年を感じる。
11月14日(土)7:15車にて休日割を利用し新東名経由知立駅へ、8:32リパーク駅前第6駐車場へ車を停め、知立駅発8:42急行にて神宮前駅9:03着。神宮前駅は、平成20年中国障害者劇団の千手観音観覧時着。発、平成23年東海道往路ウォーク着・発、平成24年東海道復路サイクリング着・発、平成29年佐屋街道ウォーク着以来8回目。七里の渡し・桑名までの船着き場9:27着。
熱田湊常夜灯
9:31出発すると、ほうろく地蔵(日光・奥州街道にもあった)
道標、佐屋街道・美濃街道との分岐点
歩車道分離柱に東海道表示
新堀川熱田橋を渡り、国1に合流
名古屋高速3号大高線交差点には二宮尊徳像
呼続の長坂に入り、熊野三社前の宿駅制定400年記念碑
外灯に旧東海道表示
珍しい「猫飛び出し注意!」
二つ目の記念碑
名鉄横断、南には本笠寺駅
笠寺西門交差点の笠寺案内
真言宗 笠覆寺(俗名:笠寺観音)
本堂は工事中
山門、サイクリング時はきれいな桜が満開だった
笠寺公園で1回目の休憩9:48
笠寺一里塚
天白川
千句塚公園西の鉾ノ木貝塚:縄文時代早期から前期
鳴海宿西の入口の丹下町常夜灯
旧家が残る
鳴海宿本陣跡は、看板のみ
宿案内
枡形には旧店舗
曹洞宗大本山總持寺直末:瑞泉寺
松と石碑、説明なし?
鳴海宿東の入口:平部町常夜灯
11:57曽根第二公園にて2回目の昼食休憩🍴、wifeお弁当
手越川を渡り名古屋第二環状自動車道を潜る
有松一里塚
有松宿へ
小塚家住宅(屋号:山形屋、絞問屋)
山車会館、サイクリング時は見学しましたが今日は土曜日で混雑していた。
コロナ対策も兼ねてPass。
変わったマンホール蓋?宿が終わると二度目の国1に合流
300m足らずで旧道に入り、500mで13:00桶狭間古戦場に寄り道
七石表(一号碑)今川義元戦士場所を示す最も古いもの
今川義元の墓
弔古碑。この後三度国1合流も、300mで旧道へ
ウォーキング時昼食を食べた前後駅
サイクリング時桜がきれいだった豊明小学校
対で残った阿野一里塚
13:45東側で、3回目の休憩
愛知県内の対で残った一里塚は、ここと知立の2ヶ所
西側
森市雪の句碑。出発後4度目の国1合流。
湾岸自動車道を大きく迂回し旧道へ
迂回案内
境川には藤原朝臣光廣卿の歌碑
尾張側木橋、三州側土橋の継ぎ橋として有名だった
今川町交差点で五度目の国1に合流すると地下道を反対側に
そして旧道に
350mで県282号で途切れるが、低い歩道橋がある
富士松駅前通過
14:47富士塚公園にて4回目の休憩
旧家
六度国1に合流し、1㎞程で知立市に
国1を離れ旧道逢妻川
橋中央の歩道の山車陶板。橋を渡り左折旧道に入らなければいけないが直進してしまう。
正解の道に戻ると、以前は国155号を無理やり横断していた交差点になかった地下道が設置されていた
手焼きおおあんまきの小松屋本家にて、あんまきget
知立古城跡:知立神社神官永見氏の居城、今川氏が滅び落城
池鯉鮒の枡形
15:50本日終点の知立駅北交差点に到着。35000歩、約24㎞の1日でした。
駅南の駐車場に戻り、16:06次回駐車場道の駅藤川宿へ。
50分程で着き、WC休憩を済ませ帰路に。
国1が少し渋滞していたが、国23号豊橋バイパス以降はスムーズで19:10帰宅。
10月28日(水)2日目。御在所ハイウェイオアシス上り6時起床し、顔を洗い、彦兵衛でうどん朝食、歯磨きし7時に桑名駅に出発。
朝渋滞にはまり、桑名駅前駐車場に7:45到着。8:05発下りで南四日市駅8:25着。
泊町北交差点8:40リスタート!
名残りの一本松:この辺りから泊の集落まで低い土手が築かれ大きな松が並んで植えられていた。
日永うちわ:起源不詳、旧東海道を往来する人たちや伊勢参りのお土産として作られた。
薬師寺:檜寄木造りの薬師如来坐像
日永神社:天照大御神を祀るが創紀不明
天白川:前回は藻がきれいでしたが、今回はなにもなし
興正寺:浄土真宗高田派、当初は天台宗
9:14日永駅南上の公園にて1回目の休憩
旧家
東海道の旗
大宮神明社
案内板がかしこに
色違いの旗
旧家
近鉄四日市東中央通りにぶつかる。横断歩道はないので、50m東の国1交差点を迂回。
押車のおばあちゃんは真直ぐ渡っていった。9年前の私と同じ。
マスコットキャラクター:こにゅうどうくん、いたずら好きな妖怪
お父さん・日本一大きいからくり人形「大入道」
東海道唯一のアーケード
四日市諏訪神社前に四日市三重川の浮世絵
国1を斜め横断すると道標
笹井屋本店にてなが餅get!
三滝川びかかる三滝橋
牽牛と織女星
旧街道
海蔵川に突き当たり、左国1橋へ
橋を渡り反対側に、三ツ谷一里塚跡
10:33 2回目の休憩
国1に戻ると、再び笹井屋三ツ谷店
660m程で旧道は左折
光明寺:創建当時は真言宗、浄土真宗高田派に改宗
かわらずの松:当時は松並木、戦後道路拡幅と松くい虫被害で姿を消す
八幡(やわた)地蔵堂と旧八幡(はちまん)神社
米洗川の大きな常夜灯
茂福(もちふく)神社
曲尺手(かねんて)
新設用水道碑と力石約120㎏
旧道
薬師寺
旧家
南富田町の常夜灯
十四川堤の桜並木
間の宿:富田の焼蛤、富田が桑名藩領であったため桑名の焼き蛤として知られる
11:44富田中公園で3回目の昼食休憩
旧道に戻る
行啓記念道路:大正天皇が皇太子時代に通られたことを記念
八幡神社の力石
冨田の一里塚址
近鉄横断、三枝鉄道を潜る
鏡ヶ池(笠取り池)続日本書紀によると聖武天皇が行幸の際、一陣の風が吹き天皇の笠が池に落ちた。傍で洗濯をしていた娘が笠を拾ってさしあげた。
面白い案内板
松寺の立場跡
朝明橋~伊勢湾岸道を潜る
工場の紅葉
旧道案内
W飛出し坊やと娘
朝日駅前通過
浄泉坊:浄土真宗本願寺派
旧家
推定樹齢約300年余りのエノキ、松並木に混じって植えられていた。
13:21東芝三重工場前四阿で4回目の休憩
近鉄伊勢朝日駅
朝日?一里塚跡
旧家
平成25年に架け替えられた橋本橋
員弁川に突き当たり国1橋迂回へ
橋を渡ると桑名市
左折し旧道に戻り、振り返ると川突き当り手前に、伊勢両宮常夜灯
桑名・岐阜の材木商寄進
旧道を進み突き当たると、矢田立場
立場を右折
国1交差点の古い和菓子店舗
県道613号交差点を左折し、すぐに左旧道
14:27伝馬公園にて5回目の休憩
旧道に戻り、数回曲がる
何も表示のない交差点も。9年前は雨の中迷いました。
再び県道613に合流後、交差点を右折
桑名城外堀に向かう道
外堀
外堀沿いに歴史を語る公園
富士山
日本橋も
正面野面積は桑名城城壁、500m現存
春日神社の銅鳥居:初代藩主本田忠勝が1602年木造にて寄進も倒壊し、1667年7代藩主松平定勝創建
鳥居
蟠龍(ばんりゅう)櫓:創建不詳の単層入母屋造、蟠龍とは天に昇る前のうずくまった状態の龍
を復元した水門統合管理所
遠く七里の渡しを見渡す
七里の渡し到着15:10、37000歩余り約24㎞の2日目。
1年ぶりの連荘はきつかった。予定より遅れているのですぐに桑名駅駐車場に向かう。
15:30桑名駅前駐車場を出発帰路に。
名古屋市通過は渋滞し、道の駅にしお岡の山に17:15着。
休憩後、帰宅は19:45。
10月27日(火)~28日(水)東海道復路ウォーキング10日目、前回まではコロナの影響で県外は一時お休みし県内を5回歩きましたが、やや落ち着いたので1年ぶりの前泊2日旅。
26日(月)入浴後19:20自宅発、国1~国23号に入り21:10道の駅筆柿の里幸田にて休憩し、空いた名古屋市内を通過し23:20道の駅関宿に到着。予想より30分程早かった。車中泊の支度をし眠りに入るが、国1沿い関駅交差点の隣でトラックの停まる音や発進する音、そして真夜休憩中の外人が寒い中20分以上話していてウトウトするだけで5:30に起き上がる。顔を洗い、亀山ハイウェイオアシス上りに向かう。ネットで調べたら7:30にゲートが開くとなっていたが、行ってみると閉められた形跡なし。
すき家に入るがコロナの影響で、朝食メニューがなく、仕方なくカレーとサラダ。WCと歯磨きを済ませ、再び関駅駐車場に駐車¥300。
7:35スタート!
街道に向かう途中、久しぶりの
関宿ほぼ中央の街道に
2回目のサイクリング時と同様朝早いので静かで良い
山車蔵
御馳走場:宿に出入りする大名行列の一行を、宿役人が出迎えたり見送った場所
緩やかな下り坂
千本格子が良い風情
一里塚址
東追分(一の鳥居)旧東海道と伊勢別街道の追分
東口には、小萬のもたれ松:江戸中期、九州久留米藩士の妻が夫の仇討ちのため旅を続けこの宿で一女小萬を産んで病没。小萬は成人後母の遺言により、亀山城下で武術を修業し仇討ちを果たす。この場所は、亀山通いの小萬が若者の戯れを避けるために姿を隠してもたれたと伝えられる。
関宿ともお別れ
関西本線横断
田圃の中、鈴鹿峠を振り返る。10月も終わりなのに今日は暑い。
東名阪道高架下の浮世絵
鈴鹿川左岸の太岡寺畷の桜並木約2㎞
再び関西本線陸橋を通過
線路沿いには常夜灯
左の細い坂を進む
野尻の街並み、中山道にも野尻があった。
8:45野村一里塚(ムク)にて1回目の休憩。大正3年までは対であった。
明治天皇行幸の際の御召替所跡:内池家主屋
9年前休憩したコンビニヤマザキは閉店、時の流れか。
道標と国有形文化財森家住宅の主屋
一休処骨董カフェとして使用されている
旧佐野家住宅
亀山宿の西端、西町と野村の境を流れる竜川左岸の崖上に築かれた京口門跡
亀山城西之丸外堀
旧館家住宅(枡家)
西町問屋場跡
階段を下り、正面の道に続く
陶板
枡形(曲尺手)
断崖より亀山駅を見下ろす
和田一里塚跡、かつてはエノキが植えれれていた。現在は模式復元。
裏手にある四阿にて、2回目の休憩10:00
東海道標識沿いに進む
谷口法悦題目塔
国1歩道橋を渡る
きれいになった井田川駅、国道側ミニストップで昼食を購入。
安楽川を渡る
きれいな川
遠くに飛行機の模型
渡り切ると、川俣神社
11:20少し早いが、荷物になるので3回目の昼食休憩
街道に戻ると、立派な鐘楼
中冨田一里塚跡、かつてはエノキの大木。
女人堤防:毎年水害で悩んでいたが、南岸の城下町神戸の浸水を恐れ藩主の許しが得られなかった。
男衆が築堤すると打ち首にあい部落が自活が危ういので、女集が力を合わせ行った。処刑直前に藩主の許しが出て救われた。
鈴鹿川を徒歩横断は複雑で、9年前はなかった案内板。でも分かり難く、直進しおかしいと戻り悩んでいると
「この看板分かり難いよね」と男の人が声をかけてくれた。説明してくれて納得。お礼を言い進む。
とりあえず右折大回り
辺法寺加佐登停車場線を潜る、通過後左折し国1地下道を潜る
庄野宿への道に繋がる。9年前は平面的に横断歩道を進んだと思う。
振り返ると、かつての旧道は新道で切断されている。こんな光景を何度も見てきた。
反対側にも案内板
庄野宿西口
沢田本陣跡
高札場跡
旧家
庄野公園で4回目の休憩12:27
旧道に戻る
鈴鹿市指定建造物 旧小林家住宅(庄野宿資料館) 平日休館
宿東口
しばらく国1沿いを進む。トラックが多く、通り過ぎると帽子が飛ばされそう😵
㈱サンケイの前を右折するのだが、草ぼうぼうのため断念
この先石薬師一里塚までの道は田圃の中ではっきりしない。前回は案内板を進んだが、今回は旧道に近い鈴鹿川沿いへ
定五郎橋:江戸末期筏で渡しの奉仕活動をしていた前川定五郎は、65歳の時私財と寄付金で板橋架橋、二旬を経ず大雨で流失も、二回目の架橋。更に本格的橋梁の建設を願い、役所を説き回り77歳の明治41年完成し命名された。
鈴鹿川11㎞地点
直に堤防を下り、田んぼの中のくねくね道
案内板に繋がる。来たのは左手。
石薬師の一里塚
佐佐木信綱かるた道
石薬師蜜寺
国1を横断
旧家とかるた
佐佐木幸綱翁(信綱の孫、歌人国文学者)記念碑
竹柏(信綱から贈られた種子に由来)
佐佐木信綱記念館
石薬師文庫:佐佐木信綱寄贈
小澤本陣址
北町の地蔵堂前四阿にて5回目の休憩13:54
地蔵堂
石薬師宿東口
9年前昼食をした国1沿い采女食堂
国1はここから下るが、旧道は右手しばらく進む
四日市市内
采女一里塚跡、国1拡張工事で消滅
大和武尊御血塚社(伊吹山で山の神を侮ったため病に倒れた大和武尊は養生し疲れ切った体で大和国を目指す途中足元を見ると出血していたため、洗い落し止血した)にて6回目の休憩15:02
急な杖衝坂
上手の弘法の井戸と下手の大日の井戸、二つの井戸がある
杖衝坂
突き当り旧家を右折、案内板あり
歩道橋を横断し、左折国25号を潜り、内部川を渡る
内部川
渡り終え左折、すぐに右折し旧道へ
杖衝坂を振り返る、斜めに旧道はあった
内部駅を過ぎると、1本のみ銀杏の紅葉
さらに旧道を
いつきの湯、デイサービスでした。
追分駅
4年前の伊勢街道出発点:国1沿い日永の追分にて7回目の休憩16:02
神宮遥拝御鳥居
国1を進むも、すぐに左折
東海道日永郷土資料館 水・土・日・祝日開館
16:32本日の終点泊町北交差点。ここを右折しJR南四日市駅を目指す。
全く駅案内の看板がなく、線路に突き当たり左手が駅だった。
16:45、43500歩28.7㎞とたいへん疲れました。
16:56発亀山駅に乗車、亀山駅にて本数の非常に少ない西加茂行17:43に乗り換え17:49関駅に戻る。
駅前駐車場より四日市三滝満殿の湯に19時過ぎ到着、お風呂にゆっくり入り、食事をし早々に、御在所ハイウェイオアシス上りに。
21時前には到着し、準備をしWCを済ませ早々に眠りに。昨夜と違い東名阪本線より離れていたため非常に静かで車の出入りも少なく良かった。
今年は初夏に続き2回目の旅行(奥飛騨・上高地)10月18日(日)~19日(月)
恩師は自治会行事で欠席、総勢5名。
暗くなった5時出発、6時過ぎに岡崎SAに寄るもコロナの影響で朝定食がなくパス。
瓢ヶ岳PAまで先延ばし7:35朝食(和風定食¥650)
9:10飛騨市役所無料駐車場に到着。
飛騨古川まつり会館 ¥500。通常は¥700。
常設展示屋台3台、今日は撮影中、総数10台。
祭典は、毎年4月19~20日の固定日
屋台の背後に下げる見送り
気多若宮神社御旅所には、起し太鼓の展示。
試打¥100/回
瀬戸川
鯉がたくさん!
飛騨の匠文化館 ¥300(JAF1割引)
樹齢850年槙柏(しんぱく)
匠の雲のモニュメント
再び瀬戸川と白壁土蔵
円光寺 100年前の大火事から唯一生き残ったお寺
本堂
瀬戸川見納め
洒落た坪庭
本光寺 山門
本堂
創業240年、オール手作りの三嶋和ろうそく店
和ロウソクget。
手作りの様子
鳳凰台(壱之町中組)屋台蔵
創業300年以上の蒲酒造場にて試飲、450本限定クラフト酒¥1980と純米大吟醸「誉」¥3666(各4合瓶)購入
隣接して、受賞数日本一の渡辺酒造店
飛騨牛コロッケを購入し、11:10出発
12:00神岡町レールマウンテンバイクまちなかコース
折り返し点
神岡町が見渡せます
遠くに神岡城
スタートは先頭だったため、こんなにたくさん後続があるとは・・・
12:50にはスタート地点に戻り、道の駅スカイド-ム神岡にて
飛騨牛カルビー丼¥1350
スーパーカミオカンデのレプリカ
新穂高ロープウェイ乗り場14:40着
久しぶりの晴天、日曜日そしてコロナの人数制限の影響で、往復所要時間4時間と聞き断念。残念😵
白い山は中岳か?
乗り換えのしらかば平駅まで車で登り見学、2階建ロープウェイ定員120名のところ半分の60名で運行。
整理券が配布されていて500番まで出ているが乗れるのは240番代。
紅葉がきれい!
宿泊地平湯温泉に向かい、平湯大滝15:50
落差64m、幅6mと予想以上に見応えあり。冬は凍結。
湯の平館に到着、温泉にも入り、恒例の湯上りビールを飲み、18時~
20時前には部屋に戻り、麒麟がくるを見ながら追いビールを飲み21時には床に・・・
翌朝元気のある3人は寒い中、露店風呂:平湯の湯に6時前に出発。
残った2人は、なかなか3人が戻らないので6:20に1Fの浴室に。
直ぐに3人も合流。
7:30朝食
8:30旅館駐車場に車を駐車させて頂き、平湯バスターミナルに向かう途中
平湯神社
脇にある鈴虫水車
旧豊坂家住宅は改修中
合掌造り
民俗館
中にはクマの毛皮が敷かれている
3人が朝風呂に行った平湯の湯
内部
8:30発シャトルバスに乗車し、9時大正池下車
西には水面に写る焼岳がきれい。大正池は1915年の焼岳大噴火で梓川が堰き止められてできた。
北には穂高連峰
人が減った後、水面にも写りきれい
木道
道の両側は熊笹が一杯!
シラカンバ(白樺よりも白粉をぬったように白い)とやや赤みのあるダケカンバ
熊笹と紅葉
カラマツ林
紅葉
湿原と穂高連峰
田代池と鴨
鴨の親子UP
田代池と湿原
梓川への流れと紅葉
行き止りの梓川河原に
河原よりの穂高連峰
田代橋10:34
紅葉
上高地帝国ホテル
玄関車寄せ10:40
リッチにケーキセット ¥1750
梓川と穂高連峰
梓川左岸の六百山と霞沢岳
ウェストン氏のレリーフ
西糸屋山荘前の紅葉
河童橋
河童橋UP
河童橋と穂高連峰
梓川右岸よりの穂高連峰
梓川と立ち枯れ木
穂高連峰が近くなる
赤と黄色のコントラスト
穂高神社鳥居
上條嘉門次の碑:明治24年日本アルプスの名を世界に広めた宣教師ウォルター・ウェストンを槍ヶ岳に案内した、上高地山案内人の先駆者。
嘉門次小屋
穂高神社奥宮参拝
明神池二之池
明神橋と明神岳
明神岳
河童橋に戻り、14:55五千尺キッチンにて遅い昼食
最後に上高地の石碑を眺め、バスターミナルに向かう。24000歩余り、約15㎞。
15:30発の5分前に到着しラッキー、乗り過ごせば1時間後。
平湯バスターミナルに戻り、湯の平館まで車を取りに行き
16:10日帰り温泉「ひらゆの森」で冷えた体を温め17時過ぎ帰路に。
安房峠道路~松本ICより長野道~中央道~中部横断道~新東名へ
21:20静岡SAで遅い夕食をとり、22:20帰宅。
次回来年6月は北海道に行けるかな?
9月28日(月)お彼岸も過ぎ、やっと涼しくなってきたので7月22日以来の再開。
8時前に自宅出発、道の駅宇津ノ谷に車を駐車し、9:10スタート。
大回りして 前回の終点9:15より
丸子川を下る
赤目ヶ谷中交差点歩道橋を反対側車線に、名残り松が見える
名残り松UP
水子観音長源寺
日本の紅茶発祥の地?丸子紅茶
9年前道なりに行き間違えた箇所には、看板(右下)がありました
東海道を離れ丸子川沿いを
丸子宿高札場
10:05 1回目の休憩
とろろ汁丁子屋
丸子宿横田本陣跡
脇本陣跡
問屋場跡
環境配慮住宅
NPO丸子まちづくり協議会
川沿いの彼岸花
丸子下宿の水神社
大曲:安倍川西の手越から丸子宿入口まで松並木が続いていた。
数ヶ所残る松
子授地蔵
佐渡の手児(てご)万葉歌碑
ラウンドワン向かいの残った松
安倍川を渡る
安倍川義父の碑:川越人夫の顕彰碑、1738年初秋紀州の漁夫が仲間と貯めた大金を持って安倍川を渡ろうとしたが、渡し賃が高いため自分で川を渡った。着物を脱ぐ際、大切な財布を落としてしまった。近くにいた人夫の一人が財布を拾い旅人の後を追って宇津ノ谷峠で引き返してくる旅人に出会って財布を渡した。旅人は礼金を払おうとするが、人夫は受け取らないので奉行所に礼金を届ける。そこで奉行所は礼金を渡そうとするが受け取らないので、礼金を旅人に返し、代わりにほうびの金を渡した。
サイクリング時食し、お土産を買った安倍川もち石部屋
11:22弥勒泰地公園にて2回目の休憩
新通りを市内に向かう
2階にある変わった新通秋葉神社
交差点には依然なかった東海道道案内表示
12:00札の辻跡
先日TV放送された呉服町六角形ベンチ
1868年西郷隆盛・山岡鉄舟会見の地
上伝馬本陣・脇本陣跡、駿府貫目政所跡の碑
花陽院門前町
久能山東照宮道
府中宿伝馬町
12:17つつじ通り公園にて3回目の昼食休憩、wifeお弁当。
歩道に変わった陶板
府中宿東見附
国1を斜めに横断し、東海道本線・東海道新幹線を潜る
古風なお店
曲金観音堂を左折東進
再び東海道線を潜る箇所にも道案内
国1歩道橋を横断し、柚木駅前通過
国1を前回は建設中だったMARK ISを右手に東進するも直ぐに左折旧道へ
静岡県護国神社
長沼一里塚
三度東海道線横断
西には東静岡駅
横断橋を下りきると、東海道線で切断された旧東海道記念碑
幅3mの狭い北村地下道
北側出口は分かり難い
Uターンし地下道内部
南側には道案内
13:55草薙総合運動場横のユリノキ広場で4回目の休憩、歩く途中右足指に痛みを感じたので靴を脱ぐと、指先が血で染まっている。靴下を脱ぐと、どうやら爪が剥がれて出血。ウェットティッシュを巻き付け再開。
出血を見たためか一層痛みが増す。
南幹線(県道407)沿いの静かな旧道を進む。
突然、秋葉山常夜灯
草薙駅前通過
草薙一里塚と10尺狸
この後道を間違え坂を登る途中で気付き、下り坂を下りると踏ん張るため一層指先が痛む。
下りきると、上原子安地蔵
とても予定の清水駅までは無理と判断し、狐ヶ崎駅にて本日はリタイヤ。
15:16発にて新静岡に行き、15:48発バスに乗り換え宇津ノ谷に。
約31000歩余り、21㎞は2か月ぶりで辛かった。18時前帰宅。
前回7月2日以降、長ーい梅雨が続き、九州では豪雨被害が続出。毎日のように雨、☔、🌂・・・。
未だに梅雨明けしないわずかな合間を縫って7月22日(水)8時前自宅出発。
終点の道の駅宇津ノ谷に駐車し、島田駅まで戻り出発予定でしたが、バイパス稲葉トンネルで故障車があり交互通行のため渋滞で動きそうもないので、旗指ICで降り、島田駅前パーキングに駐車しリスタート。
9:03駅前本通2丁目交差点芭蕉句碑より
区画整理された通りを東進
おび通り
島田宿下本陣置塩(おしお)家跡
9年前は整備されていなかった島田宿案内板と刀匠島田顕彰碑
島田一里塚跡碑と道路反対側に案内板
歩道には帯祭りの陶板
枡形跡案内
御仮屋交差点で旧国1に合流
監物川:田中城主水野監物忠善が水不足解消に大井川から栃山川につなげたためこの名が
道悦島西交差点で旧国1を横断し北側側道に
直ぐに旧国1に戻ると、藤枝市に
本日初松並木木陰にて1回目の休憩10:06
一里山交差点を旧道へ右折
松並木が多く残る
上青島一里塚跡
育生舎跡碑:明治初期の学校
千貫堤:1635年田中城主水野監物忠善が一千貫を投じ、大井川の洪水から守るため築造した長さ360mの大堤防があった
染飯茶屋蹟:信長公記にも記され、強飯(こわめし)をくちなしで染め薄く小判型にしたもの
古東海道蹟入口
地蔵堂
瀬戸新屋ふれあい公園にて2回目の休憩10:58
青木交差点をみちなりに北上
歩道には藤枝市の木:松、花:藤、鳥:鶯の陶板
瀬戸川右岸に志太一里塚蹟
瀬戸川の勝草橋、江戸時代に橋はなく徒渡りが行われたいた
上流
藤枝宿に入ると、上本陣跡・下本陣跡の陶板、案内はなし
藤枝宿長楽寺町古図
11:50千歳公園にて3回目の昼食休憩、いつもいつもありがたいwifeお弁当😃
商店街は9年前以上に廃れている
アーケードのある部分も
やがて道は行き止まりで、途切れている
併進する旧国1を横断し、水守中央公園北東の須賀神社大クス:樹齢500年、樹高23.7m、目通り10.9m
4回目の休憩12:54
鬼島の建場
旧東海道を配慮、改修された民家😃
葉梨川を渡る
旧国1に合流するが、右側旧道川沿いに戻る
是より西田中領碑
交差点横断歩道を横断し、左旧道へ
是より東巖村領横内碑、ウォーカー?が休憩中
案内板
横内橋
橋和渡ると横内案内
岩村藩領傍示杭跡
国1バイパスを潜ると岡部宿
松並木
宿の街並み
岡部支所交差点を右折し、旧道へ
問屋場跡
中山儀助邸
高札場跡
旧家
酒造で旧国1合流
問屋場跡
岡部宿公園にて5回目の休憩14:09。つくつく法師の鳴き声を聞く、まだ梅雨明け前なのに?
岡部宿本陣跡
大旅籠柏屋、無料公開で見学者もいましたが、暑くてその気になれず先に進む。
一旦旧道に
直ぐに旧国1に戻り、枡形跡
十石坂観音堂
左折旧道へ
廻沢口交差点で旧国1を横断
旧国1沿い脇道を進む。鈴鹿峠を彷彿。
延命地蔵尊
真直ぐはつたの細道ですが、東海道は左折峠道へ
鬱蒼として不気味な道
?経記碑跡
髭題目碑:日蓮宗「南無妙法蓮華経」を髭のようにはねて書く書体で刻まれている
細い山道を上がる
やっと峠に
峠の地蔵堂跡
急坂を下ると
峠の地蔵堂跡の二段構えの石垣
俳人雁山の墓
宇津ノ谷集落がわずかに望めます
下り際は竹林
やれやれやっと足場の悪い峠を下りきりました
良い感じの集落
秀吉公お羽織は拝観中止
宇津ノ谷江戸口
15:43国1に出た所:静岡市入口が本日の終点、道の駅宇津ノ谷前。32000歩、20.6㎞の旅でした。
道の駅で汗だくの手と顔を洗い、55分発藤枝行バスに乗り、JR経由島田駅、駐車場より車にて18時帰宅。
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